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Hassan事件のご紹介

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    Hassan事件の連邦控訴審判決が出ました。
    https://ccrjustice.org/home/what-we-do/our-cases/hassan-v-city-new-york

    この事件は、ニューヨーク市警が本件における警視庁・警察庁と同じように、ムスリムであることのみを理由として大規模な監視・情報収集を行ったことの違憲性が争点です。
    一審では訴訟適格(Standing)を欠くとして訴えが却下され、原告らが控訴していました。

    連邦控訴審はStandingを認め一審判決を破棄しました。以下重要なポイントです。


    1 差別されること自体が損害だと認めた
    一審では監視されただけでは損害がないとされていましたが、宗教のみに着目して大規模な監視をすることは差別にあたり、差別は劣位的なレッテルやスティグマを張る点でそれ自体個人の尊厳を傷つけるから、独立した損害があると判断しています。

    2 差別の害意は関係がない
    一審は “the motive for the Program was not solely to discriminate against Muslims, but rather to find Muslim terrorists hiding among ordinary, law-abiding Muslims."として、市警の監視活動はムスリムコミュニティに潜むテロリストを見つけ出すことを目的とするものであり差別的な動機に基づくものではないため、平等保護条項に抵触しないとしていました(本件の一審判決とほとんど同じ言い回しです。)。

    控訴審はこの点について、意図と動機の違いを理解していないと厳しく批判し、差別的な動機がなくとも差別的な意図で行っていれば平等保護条項の侵害となりえるとしました。その上で、本件では差別的な意図があることは明らかであるから、司法審査が必要であると結論付けています。

    3 違憲審査基準は通常よりも厳しい基準が適用される
    平等保護条項に抵触する以上、当該捜査の目的と手段が適合しているかを審査しなければなりません。控訴審はその際の基準として、緩やかな合理性の基準を適用することは許されず、人種差別などに適用される厳格な審査基準か、女性差別などに適用される中間審査基準のいずれかが適用されるべきと判断しています。そのいずれを適用するかについては、差し戻し審の判断にゆだねています。

    合理性の基準よりも厳しい基準が適用される以上、ニューヨーク市はムスリムのみを監視することがテロ抑止に必要かつ相当であることを立証しなければなりません。これは抽象的な推測や憶測では足りず、具体的な証拠に基づくものでなければならないとされています。




    私たちはこれまで、ムスリムのみを狙い撃ちにする監視活動は差別的なものであって憲法上許されないと主張し、その裏づけとしてドイツの判例、イギリスの実例、自由権規約委員会・人種差別撤廃委員会の勧告などを提出してきました。国際的な潮流として、宗教に着目したプロファイリング捜査は禁止されつつありますが、本判決もこの流れに加わることとなります。


    流出資料によれば警視庁はアメリカの警察組織と連携して監視活動を行っています。文化的にも国際政治的にもムスリムに対する監視を日本が独自に始めたとは考えられず、アメリカの連携要請があったと考えるのが自然です。本家のアメリカでは違憲として中止されながら、分家のみが監視を継続するとなれば皮肉と言うほかありません。

    日本でだけムスリムの監視が許される特別な事情は皆無です。それにもかかわらず、国際的な流れを無視して最高裁が警視庁の捜査にお墨付きを与えるとなれば、「法の支配」を遵守する自由主義国家の一員という国際的な評価は失墜しかねません。

    最後にHassan事件の結論部分をご紹介します。

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    5 結論
    原告らの申立書における主張は、原告らにStandingがあることと、本件に解決されるべき憲法上の問題があることを物語っている。我々の職務は裁判である。「我々はただ法律だけを適用することができる。そして我々は憲法を遵守しなければならない。さもなくば我々は市民の裁判所であることをやめ、警察の施策遂行の1つの手段と成り下がるだろう」(Korematsu事件のジャクソン裁判官反対意見)

    我々は、このジャクソン裁判官の意見が歴史の正しい道を歩んでいること(略)を信じる。ある階級や集団に多数派を押し込めるときでさえー本件では世界の主要宗教の1つと関連付けられたーその行為は我々の憲法と十分に整合するものではない。「個々人の不忠の例を挙げることでその個人が属する集団の不忠とし、集団全体に対する差別的な取り扱いを正当化することは、個々人の有罪のみをその人の権利を剥奪する唯一の根拠とする我々の法制度を否定することだ」(同事件のマーフィー裁判官反対意見)

    本件で見かけ上起きていることは新しいものではない。我々はこれまでも同じような道を歩んできた。赤狩りの時代のユダヤ系アメリカ人、公民権運動の時代のアフリカ系アメリカ人、そして第二次大戦の時代の日系アメリカ人たちは、我々の中に着実に記憶されている。後になればはっきりと見て取れることをなぜ事前に予見することができないのか、ということに思い煩うかどうかは我々次第である。ー「忠誠は心や精神の問題であって、人種や信条や肌の色の問題ではない」(Ex parte Mitsuye Endo事件)。

    原判決を破棄し、当審の意見に即した更なる審理を尽くさせるため原審に差し戻す。

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